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共感共鳴 縄文文化から見えてくるもの共感共鳴 縄文文化から見えてくるもの

自然との共存共栄が、持続可能な生活を実現した

縄文時代は今から約1万5千年前に始まりました。これは定住の始まりでもあります。縄文以前は食べ物を求めて動き続けていました。少しずつ何が食べられて、何が食べられないかの区別ができるようになり、知識が貯まってくると、「この地域のこの場所なら、次の季節にこんな食べ物が補充できる」といったことがわかるようになっていった。それによって定住が可能になったのです。

定住が始まったことを明確に示すのが、土器づくりです。土器は粘土を集めて、こねて、寝かせて、形をつくって、模様を施し、乾燥させて、野焼きで焼き上げてつくります。この工程は当然何日もかかる大仕事です。ひとところに腰を落ち着けなければ到底できません。定住生活が定着した証として縄文土器が現れた歴史的大事件を、私は「縄文革命」と呼んでいます。

縄文人の生活を再現した模型 新潟県立歴史博物館協力

定住生活に入った縄文革命以後、縄文人たちは「ムラ」をつくり、生活を始めました。現在の村とは異なる縄文人たちが暮らしていた集落を私は「村」ではなく「ムラ」と表現しています。そのムラでは自然の一角を縄張りとして、家をつくり、食料の貯蔵穴をつくり、ゴミ捨て場や共同で作業できる広場、死者を埋葬する共同墓地をつくりました。

ムラの外には、かつて旧石器時代に身を置いていた自然的秩序が保たれた原っぱ=ハラの世界が広がっています。ハラに行って食料と資材を獲得し、またムラに戻って生活するというサイクルが始まりました。彼らの生活はムラの周りにハラがあるということで成り立っていたのです。そのムラとハラの関係は1万年以上持続していきます。それほどムラとハラは共存共栄していける条件を備えていたわけです。まさにサスティナブル=持続可能な関係性を構築していたといえるでしょう。

ムラとハラとの関係性は、縄文特有のものです。大陸側の営みをみると、ハラは征服すべき空間。つまり農耕地として開墾していきました。それが大陸側、ヨーロッパ側の歴史です。対して縄文時代の日本では、農耕をしていません。自然豊かなハラの恩恵を受ける狩猟・漁労・採集の3本柱です。せっかく豊かな恵みがあるのに、ムラを拡大しハラを征服すれば、自分の足を食べているようなもので、自然の恵みを受け続けることができなくなってしまう。そのことを会得していた縄文人は決してハラを開墾して食い扶持を減らすようなことはせず、あくまでも共存共栄のバランスを保っていたのです。

縄文人の生活を再現した模型 新潟県立歴史博物館協力

農耕民と対極にあった「弁(わきま)える」哲学思想

多種多様な自然の恵みを元に生活していた縄文人の暮らしは食料事情の安定につながる理想的な戦略をとっていました。もちろん天災などが起こると一時的に食料が枯渇することはありましたが、季節が変われば次の恵みがやってくることを知っていました。春は山菜や貝類、夏は魚類、秋は木の実やキノコや果物、冬は鹿や猪。これを見える形にしたのが「縄文カレンダー」ですが、彼らはこのような知識を持っていたはずです。だからこそ自然との共存共栄の中で、狩猟・漁労・採集を実践し続けることができたのです。

つまりこれこそが、農耕民とは対極にある縄文人の哲学思想=縄文姿勢方針です。ごく少数の栽培作物に頼り、効率よく大量の収穫を目指す農耕に対して、縄文人は特定種に偏ることなく多種多様な食物を取りすぎることなく、弁えて食べていました。分け隔てなく多種多様な選択肢を持ち、独占することなく必要な量だけ取る。縄文カレンダーに沿った生活によって1万年以上もの長きにわたり、自然との共存共栄を可能にしていったのです。

一方、大陸側は自然を征服するための技術を磨きました。それは効率を追求した土木技術にも表れています。それが世界四大文明をつくりあげました。一部の研究者の中には、高度な文化を有する縄文文化を評価し、世界四大文明に比肩するからと五大文明に数えようとする研究者もいます。私は大間違いだと思っています。自然を食い物にして成長していった四大文明と、自然と共に持続可能な社会、文化を目指した縄文文化はまったく異なります。縄文人たちが1万年以上も共存共栄を維持していた経験を大陸側はまったくしていないのですから。

21世紀を豊かに生きていくためのヒント

自然界のあらゆるものに魂が宿るという概念は〝アニミズム〟と呼ばれ広く認知されています。縄文時代はこのアニミズムの枠組みの中に1万年以上もいました。八百万の神(やおよろずのかみ)にも見て取れる多神教の心は、縄文がアニミズムの中で長い時を過ごしてきたことが影響していると考えられています。

西洋の発想は自分たちが崇拝する神しか認めない一神教ですが、その神も結局は人がつくったものに過ぎません。人がつくった神に支配され、束縛されることは、窮屈なように感じられます。対して、日本の神道は、神ではなく、精霊という考えです。これはまさに日本を代表する哲学者、梅原猛氏が強調する「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」の思想です。この万物すべてに魂が宿るという考え方は生き物だけに限られたものではありません。土器のような個体にも魂は宿っているのです。

21世紀を生きる私たちが、縄文時代に戻ることはもちろんできませんが、現代とはまったく異なる縄文という文化があったことを視野に入れて生きていくことは、とても大事なことだと思います。

「もったいない」という言葉が日本の美徳だといわれています。ですが、それも所詮、現代人の感覚ではないでしょうか。経済的な観点から、注目を浴びているだけの言葉のような気がします。そうではなく、もっと別の次元での発想を持ってほしい。食べ物を無駄にしないのは、自然の恵み(食料)にそれぞれの精霊がいて、我々を満腹にしてくれる尊いものだから期限がきたから捨てるのではなく、感謝の気持ちを持って食べられるうちにちゃんと頂くのです。

物を大切に扱うことも然り。あらゆるものに感謝しながら生きる。大量生産大量消費の社会から、ちゃんと分を弁えた社会へ。それは逆にコストがかかってしまうような、今よりも厳しい社会かもしれません。ですが、なんでも合理主義、経済主義の観点だけでは、もう限界がきています。大陸側の概念は次々と自然を征服し続け、今や取り返しのつかないところまで来てしまいました。だからこそ今、縄文の思想が世界的に注目を集めているのでしょう。自然との共存共栄、もっといえば自然を崇拝し、自然の声に耳を傾ける共感共鳴。その想いを抱きながら生きる。それがこれからの21世紀の社会を、豊かに生きることにつながるのではないかと思います。

小林達雄(こばやし・たつお)

考古学者。國學院大學文学部名誉教授。1937年新潟県長岡市生まれ。國學院大學大学院博士課程修了。博士(歴史学)。東京都教育庁文化課、文化庁文化財調査官を経て、78年國學院大學文学部助教授、85年より同教授。2008年3月退官。新潟県立歴史博物館名誉館長。著書に『縄文土器の研究』(小学館/学生社)、『縄文人の世界』(朝日選書)、『縄文人の文化力』(新書館)、『縄文人追跡』(日本経済新聞社/ちくま文庫)、『縄文の思考』(ちくま新書)、編著に『縄文土器大観』全4巻(小学館)、『縄文文化の研究』全10巻(雄山閣出版)など多数。

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